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2005年12月31日 (土)

河島英五「時代おくれ」

「時代おくれ」 作詞:阿久悠

一日二杯の酒を飲み さかなは特にこだわらず

マイクが来たなら微笑んで 十八番を一つ歌うだけ

妻には涙を見せないで 子供に愚痴をきかせずに

男の嘆きはほろ酔いで 酒場の隅に置いて行く

目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず

人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい

不器用だけれどしらけずに 純粋だけど野暮じゃなく

上手なお酒を飲みながら 一年一度酔っぱらう

昔の友にはやさしくて 変わらぬ友と信じ込み

あれこれ仕事もあるくせに 自分のことは後にする

ねたまぬように あせらぬように 飾った世界に流されず

好きな誰かを思いつづける 時代おくれの男になりたい

阿久悠は、いい詩を書くと思う。僕はひそかに上の詩のような人間になりたいと思っている。彼は小説なんかも書いていて、一番好きな作品は「瀬戸内少年野球団」だ。いつか紹介したい。

歌手の河島英五さんは残念ながら、2001年に48歳で亡くなった。人間臭い歌を歌わせたら、これほど様になる人もいなかったと思う。

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2005年12月25日 (日)

浅草キッド

「浅草キッド」 ビートたけし

お前と会った仲見世の 煮込みしかない鯨屋で

夢を語ったチューハイの 泡にはじけた約束は

明かりの消えた浅草の こたつひとつのアパートで

同じ背広を初めて買って 同じ形の蝶タイつくり

同じ靴まで買う金は無く いつも笑いのネタにした

いつか売れると信じてた 客が二人の演芸場で

夢を託した百円の 投げて真面目に拝んでる

顔に浮んだ幼子の 無垢な心にまた惚れて

一人訪ねたアパートで グラス傾け懐かしむ

そんな時代もあったねと 笑う背中が揺れている

夢は捨てたと言わないで 他に当てなき二人なのに

夢は捨てたといわないで 他に道なき二人なのに

大学を中退したたけしの浅草フランス座で芸人修行をした青春の日々。同じ夢を見る個性的な仲間たちと繰り広げる笑いと哀愁に満ちた生活。文庫版の解説は、井上ひさし。なお小説の冒頭で始まる上の詩は、ビートたけしの歌でCDも出ている。

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2005年12月18日 (日)

ガブリエル・フォーレ

フォーレは、パリにある音楽学校でサン=サーンスなどに師事した。僕の印象では、師匠とは対照的におっとりと穏やかな感じがする。でも、余情的なところなんかは見事に受け継がれているんではないかと思っている。「ラシーヌ雅歌」、「レクイエム」なんかは特に有名。

個人的には、「子守歌」が一番好きな作品だ。ほのぼのとしているくせに、ちょっぴり切ない郷愁をかんじさせる。

たとえば、8ミリフィルムなんかに記録された子供の成長してゆく姿みたいな・・・カタカタッ(フィルムの回る音)・・・少し早送りのような映像・・・フィルムの傷がちかちかしている・・・破ったカレンダーの裏側にマジックで書かれたタイトル「かずお 3歳」・・・三輪車に乗る子供・・・転んだとき慌てて駆けつけた母親に抱き起こされる・・・泣き顔のアップ・・・なんてかんじだろうか。

あまり作品紹介には、ならなかったかもしれない・・・。

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2005年12月10日 (土)

バスター・キートン

「笑わない喜劇王」バスター・キートン。子役時代から石のような顔がトレードマークだった。

彼はどんな危険な撮影もスタントを使わずに演じた。そのため列車から転落して首の骨を骨折していたにもかかわらず、そのまま撮影を続け、気づいたときには完治していたという。

共にライバルとして同じ時代を築いたチャップリンとは「ライム・ライト」で共演をしている。老いた喜劇役者たちが時代が移り変わる直前に最後の輝きを見せた一瞬は、とても静かに淡々としていたにもかかわらず圧倒的な迫力があった。

もしも自信をなくして気持ちが揺らいでしまいそうなとき、なぜかキートンの無表情さは僕らを安心させてくれるだろう。

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2005年12月 4日 (日)

「東京の古墳」「大森貝塚」、モース博士

品川歴史館で開催されている「東京の古墳展」に行った。残念ながら12月4日 までだ。場所はちょうどJR大森駅と大井町駅の中間にある。

東大井四丁目付近には、品川大井古墳群が存在していた。6世紀のものと見られ埴輪なども出土している。今回の「東京の古墳展」は、大井古墳を含む多摩川流域や東京低地に存在した古墳から出土した鏡、剣、玉、装身具、馬具、埴輪、土器類を展示。

1877年、アメリカ人 E.S.モース博士は、大森から品川へむかう東海道線の汽車の中から貝層を発見した。縄文時代後期から晩期のものと見られ、当時の人々の生活環境だけでなく、海岸線の位置を知る手がかりともなっている。

なお、モース博士は日本全土を旅しており、日本文化について記された著書は味があっておもしろい。

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