2022年2月19日 (土)
2022年1月10日 (月)
2021年12月11日 (土)
カリー・ザ・ホット(赤・黒)の三上博史
僕らの中学時代に、ちょっとレトルトカレーが流行った。激辛ブームのきっかけにもなったはずだ。
なかでも、ファンが多かったのが、ハウス食品の「Curry the Hot(カリー・ザ・ホット)赤・黒」。2種類の味が楽しめて、赤がトマトをベースにした酸味。黒がヨーグルトとチャツネベースのスパイシー風味。
そのコマーシャルに出演している三上博史がカッコよくて、中学生だった僕らはあこがれたものだ。当時、月9のトレンディドラマの先駆けともなった「君の瞳をタイホする!」では、陣内孝則、柳葉敏郎にも並んで、落ち着いたシブさがあった。個人的には、雑誌「ザ・テレビジョン」の表紙になったときの彼の写真がベストショットだと思う。
2021年11月28日 (日)
2021年11月 6日 (土)
2021年11月 5日 (金)
当時のジャンプ「ゆうれい小僧がやってきた!」ゆでたまご
1980年代、週刊少年ジャンプを毎週楽しみにしていた僕ら。ドラゴンボール、北斗の拳、男塾など戦いものの中でも「キン肉マン」が一番好きだった。その原作者ゆでたまご先生が別の作品を発表する!このニュースに僕らは熱い期待を寄せたのだった。
1987年週刊少年ジャンプ34号で発表された読み切り「ゆうれい小僧がやってきた!」。
評価は分かれるところだろう・・・。
中学生の二人の主人公が合体してヒーローになって、妖怪や怪物を退治していくストーリー。クラスメイトが首をひきちぎられたりと殺戮シーンがかなりショッキングなのは、当時、超人の死闘を描いていた名残か。また、「亜鎖亜童子=あーさあどうじ」みたいな暴走族的ネーミングセンスも80年代ならではだ。
ちなみに、同じ号の「キン肉マン」では、フェニックスの暗い生い立ちが描かれていた。
2021年10月21日 (木)
なつかしのジージャン
ジーパンをはき始めたのは、中学からだった。
それまでは、アディダスやプーマのジャージ、ときには、半ズボン(短パン)を一年中はいてる同級生もいた。当時の違反学生ズボン「ボンタン」なんかにみられるように幅の太いものが流行していて、ジーンズもゆとりのある太いものが多かった。
そして、秋から冬にかけての上着が、ジージャンである。
ジーパンと同じデニム生地のジャンパーはかっこよく、当時のバンドブームと相まって、あこがれのファッション。男子も女子も着れて、クラスでは地味だった女子の私服がシブいジージャンだったりすると、ちょっぴり恋心が芽生えたりした。
おそろいのジージャンを着てデートしている先輩たちを羨望のまなざしで眺めた中一の秋・・・。
2021年9月22日 (水)
Xヴァニシング・ヴィジョン
日本のバンドブームの中でも、X(エックス)は強烈だった(その後、X-JAPANになったのは、同じ名前のバンドが海外にいたからだったか)。代表作の「X」や「紅」の収録された「ブルーブラッド(BLUE BLOOD)」でその存在を知り、僕らの中学では一部の熱狂的なファンがいた。
ある日、クラスでも成績優秀で真面目だった同級生が、校内で最も凶暴な不良たちに話しかけているのを見た。多くの生徒たちは、興味半分、心配半分で成り行きを見守っていたのだが、ヤンキーの一人が、彼に何かを手渡したのだった。あとで見せてもらうと、それはカセットテープで、ラベルに「Vanishing Vision」「X」とプリント(こすって貼り付けるシール)されていた。
それはXが制作した最初のアルバム(伝説となっていた!)で、もっとも印象に残ったのは「I'LL KILL YOU」(すごいタイトルである)激しい歌詞と速いテンポの流れの中に漂うシリアス感が好きだ。あと、すべて英語で歌われた「紅」の「KURENAI」もかっこよかった。
真面目な優等生と狂暴なヤンキーとの交流はそのときだけだったが、その後、優等生はプロのミュージシャンになって、テレビなんかでも活躍していた。バンド名は、あえて伏せておきたい。
2021年9月 6日 (月)
2021年8月31日 (火)
図書館で聴いたYMO「中国女」
僕らの高校時代の夏休み、受験勉強で訪れた図書館で、そろそろ自習にも飽きてきた。
薄暗い図書館の視聴覚室で、一点を見つめながらヘッドホンに耳を傾けている学生がいた。彼がそばに置いているCD(もしかしたらテープだったかもしれない)のタイトルを見てみるとYMO(イエローマジックオーケストラ)の古いアルバムだった。
後日、同じCDを借りた。根拠はないが、あの学生が感動していたのは「中国女」じゃないかと思った。
フランス語名の「LA FEMME CHINOISE」が素敵だ。似たようなテイストの「東風(TONG POO)」より、ちょっと悲しみがあるのがよかった。
今でも、悔やまれるのが、あの学生に声をかけなかったこと。おそらく近い感性をもっていただろうに・・・。
2021年8月12日 (木)
違反学ランの裏ボタン
当時、多くの生徒たちが不良にあこがれて、違反学ランや違反ズボンを買うのであったが、かなり高い金額が必要だった。(この辺が、裕福な家の子のヤンキーも多かった理由か?)それから、目立つ学生服は、おっかない生活指導教師なんかから没収される危険も大きい。
だから、安い小物アイテムから入っていくのが普通で、たとえば、ボタン、くしや財布とか・・・、そして、裏ボタンだ!
「ファッションチェンジ」カテゴリ。制服のボタンの裏側には、表のボタンを固定する小さな板型ボタンがついていた。
一般的だったのが、透明プラスチックの下にドクロやサソリ、龍や虎なんかが描かれているのもの。それから、英語ロゴのメタル製なんかもあった。有名なところでは、文字入りの「恋」「人」「募」「集」「中」がちょうど5つそろってオシャレ?だった。
2021年7月15日 (木)
トオルの警棒(ビーバップ)
僕らが小学校から中学校に上がるくらいにヤンキー文化が花開いていた。ブームの火付け役はヤンキーマンガであり、その最高峰に「ビーバップハイスクール」を挙げたい。近所の床屋で全巻読みたいがため、客が込み合っている時間を選んで散髪屋に行ったものだ。
今回は、物語初期に登場していた武器の警棒を語りたい。
特殊警棒は、主人公のトオルが使用していた武器だったが、おそらく、主人公が武器を使うのがフェアな印象を与えなかったためか、中盤からは登場しなくなった。
当時、隣町の(特殊な?)模型店で売っていた警棒は、ずっしりと重い金属製だった。ポケットに入るくらいの長さの棒なのだが、使うときには二段か三段に伸びて長くなる。たしか、ガチャガチャの景品にもあったのだけど、その小さな棒は最初から長く伸びていて、押すと(バネで)縮むといった逆パターンのモデルであった。
ちなみに、手で引っ張って伸ばすのはかっこ悪くて、棒を下に振って勢いよくガチャリと伸ばすのがかっこよかった。
現在では、懐中電灯と一緒になった防災用が登場している。そう、警棒は武器として使うのではなく、その機能美を眺めるものなのさ。
2021年7月11日 (日)
イハン服カタログ(80年代ヤンキー文化)
80年代の学生時代は、かなり荒れていた。とくに、中学時代はヤンキー最盛期の時代で、隣の校区に行くときでさえ命がけだった気がする。
もちろん、違反学ラン(変形服)は「不良の入り口」とされていて、他校の生徒との戦いを覚悟しながら隣町まで買いに出かけた。
これらの違反服カタログは、僕らの宝物。メジャーだったのは、MAX RUGGER(マックスラガー)とJACK KENT(ジャックケント)か。
学生ズボンでは、ボンタン、ドカンなどは有名。ワタリ(幅)50㎝以上が一般的だったか?さらに、すそをかなり絞った「バクダン」は、かなり気合の入ったヤンキーしかはけなかったと思う。ハイウエ(ベルトの上)が10㎝以上、スリータック以上は珍しかった。
学ランでは、短ラン、長ラン、ヨウランとあった。短ランが一般的で、長ランなんかは卒業式で見かけたくらいだった。
ちなみに、僕らの中学校では、短ランにスリムボンタンが流行っていた。
2021年7月 3日 (土)
2021年6月30日 (水)
駄菓子屋のパターン 10円しかないとき編
今回の駄菓子屋の買いものパターンは、予算のないとき編。
駄菓子屋に通った子供時代、だいたいの予算は100円だった。だが、お小遣いを使い果たしたときに限って、駄菓子屋のゲームコーナーに新作ゲームが入ったという情報を聞くのだ!そんなときは、無理やりに家の手伝いなんかをして、10円や20円稼いでから駄菓子屋に向かうのだった。
ポケットに10円しかないとき・・・
そのときは、選択の余地なく、どんぐりガム。理由はくじ付きなら、かなりの低確率でもう一個食べられるから。同じ理由で、ひもアメやガムくじ。ガムくじは、箱のボタンを押して、転がってくるガム玉の色で金額分のお菓子がもらえる。いつもの定番、モロッコヨーグルやラムネ菓子系は、すぐに食べてしまうので選ばない。
しょっぱいものだったら、うまい棒、キャベツ太郎などのスナックはあきらめて、かたい酢イカ(酢ダコはすぐ食べてしまうので注意)やスルメ。
長持ちするお菓子には、ポンポン菓子のつまった袋「にんじん」なんかもある。ただし、これなんかは味が薄いため人気が低く、予算のある日は絶対買わなかった。でも、大人になってから好きになるパターンのお菓子だ。
とにかく、長持ちするものを選ぶのだ。それを食べている間は、人のやるゲームを見ていても駄菓子屋のおばさんににらまれることがないのだから・・・。
2021年6月20日 (日)
ファミコン名曲集「初代のアレフガルド」はさびしい
初代のドラゴンクエストが好きだ。小学生だった当時、毎週読んでた週刊少年ジャンプで、ジャンプ放送局のキャラたちが絶賛していたことも大きかった。
ここで語りたいのは、あの音楽だ。アレフガルドのテーマ。
あの物悲しく寂しい音楽は、あれから何十年も過ぎて大人になったいまでも、いつも脳内に流れる。自分がプレイしたドラクエシリーズでは2にも、3にもアレフガルドのBGMは登場したのだけど、やっぱり、初代の寂しさが一番好きだ。
最強のドラゴンを倒すという勇ましいゲームにもかかわらず、荒野を行く主人公の背景に悲しみが表現されていたのだろうか?(前を向いたまま後ろに進む主人公の行進はおいておきたい・・・)
もうひとつ、冒険の始まりである城の目の前に、ゴールである竜王の城が見えていた点もすばらしかった。
2021年6月 6日 (日)
昔の道路はよごれていた・・・
むかしの道路は汚かった・・・。
僕らが子供時代に歩いていた道は、ものすごく汚れていた気がする。側溝にふたがないのは当たり前だったし、道端には、タバコの吸い殻やゴミ、エロ本やマンガ雑誌、壊れた電気製品なんかも捨てられていた。犬のフンなんかは、いたるところに転がっていて、よく木の棒などが突き刺さっていた。
ただし、ごくまれにお宝が落ちていることもあって、キンけしのプラネットマンを拾ったときは驚いた。それから、古いライターなんかもよく拾っていたんだけど、家に持って帰ると怒られるので、秘密基地などに保管していた。
でも、道路に引かれたチョークの線や輪、塀や壁に描かれた落書きや名言には、なぜか心に響くものがあって、誰もいなくなった夕暮れ時に、ぼんやり眺めてしまうのだった。
2021年5月19日 (水)
階段を下りるバネ
昭和の幼少時代を思い出すとき、妙な感覚とともに思い出すおもちゃなんかがある。以前紹介したものでは、ネズミのように動くモーラー、うなぎのようにツルツルするつるべえ、ドラキュラのキバ・・・。
そして、スプリングの玩具もなつかしい。
階段を尺取虫のように降りてくる様子が不思議だった。ただし、2、3回遊ぶと必ずバネがこんがらがってしまって、そのまま、ホコリをかぶるのであったが。
当時は「バネ」や「スプリング」と呼んでいたと思うけれど、正式名称は、アメリカの製造元「スリンキー」だった。それから、別名なのか「トムボーイ」とも呼ばれたらしいが、それで思い出すのが、キン肉マンの悪魔超人編でウルフマン(テレビではリキシマン)をバラバラにしたスプリングマンの必殺技「デビル・トムボーイ」だろう。
2021年5月 5日 (水)
The Look of Love(1998年頃カナダのCMより)
ずっと探していた曲があった。1998、1999年にカナダのテレビ・コマーシャルで流れていた歌。そのCMの商品は忘れてしまったんだけど、女性が歌うメロディは、ふとした瞬間に、いつも思い出してしまうのだった。
そのCMの内容は、薄暗い部屋で若い夫婦がテレビを見ている。だらしなくソファに寝そべってスナックをむさぼる夫にうんざりしながら、その妻が”何かの商品”を開封した瞬間、だらしなかった夫のお腹がひっこんでいき、スマートでハンサムな青年に変化したのだ!夢のような時間を過ごしていた妻だったが、夫のゲップで現実に戻されるというストーリー。
・・・その後、カナダを去った後も忘れたことはなかった。それから二十年近くが過ぎ、ある日、偶然にも見つけたのだ。同じくずっと探していた東京スカパラダイスオーケストラのCD「gifted」の中にインストゥルメンタルで見つけたのだ!
「The look of love」原曲は、1968年の映画「007」シリーズの主題歌で、Dusty Springfield(ダスティ・スプリングフィールド)。
あの胸が締め付けられるような甘く切ない感じはクセになる。この曲も様々な歌手がカバーしていて、1990年代では、映画「オースティン・パワーズ」のサントラ盤のSusanna Hoffs(スザンナ・ホフス)のギター弾き語りはさわやか。それから、2000年代では、カナダのDiana Krall(ダイアナ・クラール)のは、セクシーでタフな印象。
さかのぼって、Sergio Mendes & Brasil 66(セルジオ・メンデス&ブラジル'66)のボサノヴァ風も味があって、レトロな「ザ・歌謡曲」の豪華さの中にも原曲の切ない感じは残っていて好きだ。
2021年5月 1日 (土)
リアル・エレベーターアクション
僕らが子供の頃は、まだエレベーターの設置されたマンションは少なかった。だが、近所にエレベーター付きの建物があった場合、子供たちの遊びに占領されてしまうケースが多く、やがて、学校から禁止令も出されることになる・・・。
エレベーター・アクション。
その内容は「ドロケイ」(地域によっては「ケイドロ」)で、警察チームと泥棒チームに分かれて行う鬼ごっこ。ただし、必ずエレベーターを利用しなければならない。これを集団でドタバタやられるんだから住人たちもお怒りモードで、子供たちは、マンションの大人たちからも逃げなければならないのであった。
さて。その名の由来は、もちろん伝説のテレビゲームから。
スネ夫みたいな尖った髪型のスパイがビルに潜入して、書類を盗みながら脱出するゲーム。シンプルだけど、なかなかの難易度で、僕はクリアできなかったと記憶する。笑えるのが、エレベーターで敵をつぶす攻撃。現実に考えたら、エレベーターの下が通路なわけないんだけど、そこは面白さだろう。
ドロケイもテレビゲームも、大人に叱られて終了するパターンは同じだ。